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オートクチュール

2019/4/19

オートクチュール

オートクチュール(hautecouture)とは、上質の素材と熟練した技術で、完璧にオリジナルなモードを生み出す高級衣装店。

フランス語でオート(高級な)、クチュール(裁縫仕立て)のこと。

とくにパリの高級衣装店をさし、パリ・クチュール組合のメンバーだけが本当のオートクチュールといわれる。

 

繰り返しになるが、オートクチュールとは、一流のデザイナーのもと最高の素材と最高の裁断、最高の縫製技術によって、完璧で完全なオリジナル衣装がつくられること。これに限る。

各店のクチュリエや専属デザイナーは世界的にすぐれた技術と個性の持ち主で、その下にはデザインを最高度に実現できるアトリエが設けられている。

 

オートクチュールの歴史

パリのオートクチュールは歴史も古く、芸術的ともいえる衣装は、センスと技術において世界最高の権威と信用を持ち、あらゆる意味で世界の服飾界をリードする指導的立場にあり、流行の源となっている。

歴史的にはフランスでは18世紀にはすでに服飾デザインが独立した職業となっており、1772年にはマリー・アントワネットのドレスメーカーとして王妃の衣装デザイン制作を行ったローズ・ベルタン夫人の名が知られている。

1850年にはイギリス人ヘンリー・クリードがパリで婦人用の乗馬服、狩猟服などを手掛けており、1860年にはシャルル・フレデリック・ウォルトがナポレオン3世紀ウージェニーをはじめ、宮廷の婦人たちを客とした創作デザインによる衣装をつくり高級衣装店の基礎を築いた。

1863年にはファッションブックの普及とミシンの改良により服飾デザインに対する関心が高まり、衣装店の数が急増、1900年には高級衣装店の生みの親とされるポール・ポワレが単純でより着やすいドレスをモットーに、個性に富んだ作品を発表。そして1911年には、高級衣装店協会が創立されることになっていく。

 

協  会

パリの数多き衣装店の中でもオートクチュールと呼ばれる店は、特に別格とされ、ほとんどがパリ衣装店協会(シャンブル・サンディカル・ドゥ・ラ・クチュール・パリジェンヌ)に所属している。

この協会は政府と関連のある公の組織で、創作に重点をおくクチュール業者と、既製品を扱う業者とによって構成される。

さらにクチュール業者は、クチュールと、クチュール・クレアシオンとに分けられ、クチュール・クレアシオンとして認められたもののみがオートクチュールの名称を使用できる。

それは協会のオートクチュール店名簿に登録希望の申し込み、統制制限条項に適応するものであり、1年間の期限でオートクチュールの名称をとなえることが許されるものである。 

 

制 限 条 項

・店の作品は、必ずクチュリエ、または専属デザイナーの創作であり、自己のアトリエで製作したもの。

・作品は定期的にパリにおいて、マヌカンに着装して展示すること。

・春夏物、秋冬物として新作品を製作し、協会の定める時期に発表すること。

・創作品を依頼者の注文により複製するときは、依頼人の寸法に合わせ、1回または数回の仮縫、試着を行うこと。

・規格化量産(シリーズ)を行わないこと。

・創作品の販売は展示に用いたもの1点に限る。(現在は緩和されている)

・外部より型を買入れないこと。

・外注作業を行わないこと。

 

上記のような条項が挙げられるが、協会を離れて別個に創作、コレクション活動を行う店もあり、オートクチュールの名にふさわしい実力ある店に対しては、たとえ協会に所属していなくても、オートクチュールの名称が冠されている。

 

パリ・コレ

毎年オートクチュールはシーズンに先がけ、1月と7月の年2回それぞれ1週間ほどの間、自店の最新モードを専属のマヌカンに着せて発表会を行う。

これが世界一有名なパリ・コレクションである。

この時期は世界中の服飾関係者、バイヤー、新聞、雑誌記者、顧客などあらゆる関係者がパリに集まり、各店のコレクションに注目し発表と同時に、その年のモードも決定されるのである。

 

1930年代はヴィネオ、シャネル、スキャパレリといったクチュリエールが活躍し、1950年代にはディオールやバレンシアガといった偉大なクチュリエが黄金期を作ったコレクション。

 

オートクチュールの仕事

オートクチュールの仕事は、そのほとんどが手仕事でミシン作業は全体の1割程度にすぎない。

仮縫もまずトワルで片見頃を行った後に両見頃に移り、ついで布地で仮縫し、最後に総仕上げの仮縫を行うという少なくとも4回の過程に分けて行われ、必要な場合には10回でも繰り返すといわれる。

素材調達と仕立てを一貫して行い、シーズンごとに新しいコレクションを発表するが、デザイン、素材、仕立てそのすべてがほかに類を見ないほど高度かつ高級なため顧客は特殊な一部の層に限られるのが現状である。

 

現 在

高級服の一点製作主義を守ってきたパリのオートクチュールも時代を動きにつれて、姿勢を少しづつかえている。

かつては世界のモードを支配したオートクチュールも、既製服が主流となった現在は最初からプレタポルテ専門に手掛けるようになって以降、オートクチュールが身近なものになっている。

 

 

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